平成30年間は第二の人生

平成31年は4月末をもって、天皇陛下の譲位により新し時代となります。

思い起こせば、昭和の63年間は人生の門出の第一の人生。
誕生、義務教育終了、高等学校失業後現役で長崎大学薬学部入学、1年休学後長野県の製薬会社に勤務、新薬の安全性研究に励み、結婚、二人に子供の父親に、自宅購入、仕事と子供だけの12年間、年収の1/3のローン返済のため苦しかったがやりがいのある16年間の会社勤務。手掛けた新薬・上市薬は7品目、安全性で棄却した化合物数百、犠牲になったマウス、ラット、ウサギ、犬、サルは数知れず、日本炎症学会で学会デビュー、信州大学医学部病理学教室・順天堂大学医学部病理学教室研究員、報告書・発表論文100篇以上、1985年初めての西ドイツ、英国への海外出張と国際解剖学会デビューし日航墜落事故の悲報はロンドンで出会った。
40歳で死亡するとの占いを信じていたので、昭和63年9月会社辞職。

昭和64年は1月6日で終了し、平成元年の知らせは乗鞍高原スキー場で。
信州大学より平成初の日学博士の学位を授与(平成元年1月25日付)される。
3月より厚生省管轄の財団に就職し、日本国際協力機構のフィリピン保健省プロジェクトの短期派遣専門家、次いで3年以上の長期派遣専門家として動物実験と安全性試験の技術移転の業務に関わる。
1989年のク・デター、1990年のピナツボ火山爆発にも遭遇。
マニラに単身赴任であったので人生最後のひと時と思い、大いに遊んだ。
1993年7月プロジェクト終了に伴い帰国、外資系製薬会社のお誘いを断り、フィリピンにサル研究所を設立する計画の日本の前臨床試験受託機関に就職し、フィリピン法人の初代社長として研究所設立と運営に携わる。
品行方正でないため帰国を命じられ、自宅と会社を車で往復の3年間もヒトのための仕事に従事したが、1999年辞職。
フリーランスの日本ODA(政府開発援助)の業務や育毛剤・強精剤の輸入代行で生計を立てる。
ODAの調査員としてインドネシア2回、中国、グアテマラ、モーリタニアを旅する。
2000年、インドネシアで出会ったノニが縁で小さなインドネシア産ノニジュースの輸入販売会社を設立し、日本‐シンガポールの合弁会社の社長になるも、無残な結果になり、営業権を東京の会社に譲渡した。
商売人になれないため、2001年10月に東京ノニ研究所を開設してノニの啓蒙と研究に傾注し17年間、現在に至る。
東京ノニ研究所では生存はできないため、ノニジュースの輸入販売を継続してどうにか生きているが、インドネシア訪問回数はおそらく100回は超えるだろう。
インドネシアの提携会社に未熟ではあるが技術移転を行い、HACCPや有機認定のノニジュース製造に協力している。
同時にインドネシア工業省ともMOUを締結し、インドネシア原産のノニジュース並びに熱帯有用植物の共同研究開発も行っている。
日本やインドネシアでのノニの講演や商取引を通じて、多くの方の知遇を得るとともに、天然物の効果を勉強している。
娘・息子ともフィリピン赴任中には10回以上父に会いに来てくれ、発展途上国とは云え、早くから外国を見る経験を積んだ。
その影響もあったのであろう、娘は短大卒業後ロンドンに留学しアルバイトをしながら9年間イギリス文化を享受し、アロマテラピーの資格を取るなど生活力旺盛な女性に育ち、現在は父親の会社を助けてくれている。
息子は4年間浪人生活をして、念願の医学部に入学。
父親を見ているから薬剤師の道を選ばず、医師を選んだ。正解である。
信州大学医学部の恩師の影響を受け腎臓病の世界を選び、今は腎臓内科を含む総合内科医として病院勤務をしている。最新の医療技術や方針を学ぶことが多い。
私が会社を辞めた時の年齢に達しており、親の助言は必要なく、良き父親として三人の娘を育てている。
平成の30年間は私にとっては、当に第二の人生であり、多くの方とは異なる行動を行うことができた。
これも妻の理解と経済的な支援抜きには実現できないものです。
製薬会社を辞めて収入は半減し、ノニの世界に入ってもほとんど収入無く、会社運営資金も子供の教育費用はすべて妻の働きによって賄われた。
新しい栄養機能食品ブアメラは、13年間陽の目を見ることがなく時間だけが過ぎている。

妻無くして、この30年間はありえなかった。
苦労を掛けた。いくら感謝してもしすぎではない。
今年で第二の人生は終了。

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これからの新時代は第三の時代として如何に生きるか?
孫の成長を見守るだけの爺婆でありたくない。
米寿までは夫婦とも健在であり続けたい、そして第三の人生を妻と創り上げることにするが具体案はない。
恐らく死に直面して第三の人生の総括ができるのであろう。

平成30年間は第二の人生” に対して1件のコメントがあります。

  1. kiyono bin より:

    記事ざっくりですが拝見させていただきました。
    西垣啓子様の写真下、「妻無くして、この30年間は『ありな』かった」をご確認下さい。

    1. Nishigaki より:

      Kiyono bin 様

      誤りのご訂正ありがとうございました。
      修正いたしました。

      西垣

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