東日本大震災を振り返って

8年前、2011年3月11日の大事件が脳裏に

様々な災害は毎年のように経験するが、戦後生まれの者にとって8年前の東日本大災害は死ぬまで忘れられない事件です。

ノニジュースの説明講習のため数日前から東京に滞在しており、前夜か前々夜に東京のホテルが相当揺れたが大震災の前震とはまったく考えなかった。
当日、横浜のドラッグストア店員様向けのノニジュースの講習を終えたのは昼食前だった。
帰松するには十分な時間があったので、インドネシア大使館の工業省アッタシェに面会を申し込んだが、生憎出張中でお会いできなかった。
仕方なく、横浜から横浜線で八王子に行き、次いで特急にて松本へ帰るべく電車に乗り、町田駅に到着したのが午後2時46分。
町田駅に到着し電車のドアが開くのと同時に大きな揺れ、誰かが震度5の地震だと叫んだことを想い出す。
即座にホームに飛び出し電車が左右に大きく揺れ、パンタグラフから閃光が。
駅の構内放送は、構内から外に避難するようにとの指示でこれに従う。
駅の直ぐ傍の駐車場に避難し、避難者とともに度重なる振れを電線の動きで知る。
どうも停電しているようだ、駐車している車が電動の車止めが下がらないため出られない、サウナ風呂のビルも灯りがない。
まもなく、飛行機一機が上空を大きく旋回しているが、被害状況を見届けるための気象庁か警察庁の動きだろうと思った。
町田駅の案内では、JRは運行中止、構内の便所の水は出ないし、小便は貯まり放題。
携帯電話が通じないため、駅構内の固定電話前には長蛇の列。
家内に携帯電話をかけるが繋がらないが、運よく一度繋がり町田駅近くのホテルの予約を頼み、これこそ幸運にも予約ができた。
等々、記憶は鮮明だ。
二日間、ホテルに宿泊することになった。寒いが部屋が確保できただけ幸運。
自転車でホテル従業員が駆けつけ、最大のおもてなしをしてくれたことに感謝するとともに、日本人の誠実さを知った。

町田駅周辺だけ停電であり、電気の復活は夜半だった。
テレビが津波の被害を映し出しており、初めて三陸沖に大津波が襲っているのを知る。

津波の後の大災害は、福島第一原発の原子炉加熱とその後の溶融、爆発。
灯台、東大元暗し、の典型事例。。
政府の避難誘導の過誤か意図してか、放射性物質汚染地帯への避難者の誘導。
被災地復興のためと称しての増税。
爆発原子炉の後処理のロードマップは作成するも、実行の遅れと見通し立たず。

こんなことを考えながら数か月を過ごし、被災地を自分の目で確認したくひとり車を走らせた。
大震災後77日目のこと。

https://youtu.be/KOsx6ohIqjk

帰途、郡山の友人を訪問する。
薬局は避難者の病歴や処方箋がないためてんてこ舞い。
初めて知ったが、ある医者は34種類のクスリを患者に処方しているとか。
34種類のクスリの相互作用を熟知していれば大天才だが、てんぷら医師の多いことに日本の医療の腐敗を見る。

フィリピン赴任中にクーデター、避暑地バギオの大地震、ピナツボ火山の大爆発、マニラ市内の大洪水を経験し、阪神淡路地震の報にも接した。
インドネシアでは幾度ものテロ、スマトラ大津波、ジョグジャカルタの地震や火山の噴火、昨年のスラウェシ島の津波などを経験。
東日本大震災後も余震による松本地方の直下型地震による実害、中越地震、熊本地震、北海道地震、広島の土砂崩れ災害など、毎日が天災との闘いである。

天災や局地的な被害や事件は防御の方法もあるが、地震による外部電力の遮断は原発にとってあってはならないことであるが、科学先進国の日本で起きてしまった。
平成に入り日本人は思考が停止、マニュアル人間が増加してしまったことが、原発事故だけでなく現在も起きているデータねつ造にまで広がっている原因だろうと思う。 何がそうさせてしまったのか?
平成元年(1989年)に人生の方向を変更した後、後輩の能力が落ち思考停止に陥ったのであろう。

大震災や天災を経験した我々現代人は、深く考え、子々孫々に糾弾されないようにしたいものです。

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