敬老の日:100歳以上の長寿は7万人を超えた

9月15日は敬老の日
おめでたいことです

東京ノニ研究所を主催して19年。
信州安曇野に住み始めて約40年が経過し、本年の敬老の日には耕地自治会より「長寿会」への招待を受けています。
占いで40歳で死ぬといわれ、それならとサラリーマンを辞めて夢であった海外と関係ある仕事・生活へと決断して30年。
良く生き延びてきたものと感慨深いものがあり、かつ自分を誉めているほどです。

敬老の日の特番は、厚生労働省の100歳以上の長寿の方の人数の発表です。
本年の100歳以上の長寿者は、71,283人です。

49年間連続で長寿者が増えてきています。
老人福祉法が昭和38年に制定された時には、100歳以上の長寿者は男性20人、女性133人の計153人。
半世紀で500倍近い増加となっており、喜ばしいことです。

都道府県別の人口10万人当たりの100歳以上の長寿者の数は、1位から10位までは
高地、鹿児島、島根、鳥取、山梨、山口、熊本、香川、長野、長崎となっています。

比較的日本でも温暖な地域に、長寿者の比率が高いことがわかります。
しかし、海に面しない寒冷の山梨県と長野県も10位以内に入っていることは、注目されます。

一方、長寿者比率が少ないのは、
埼玉、愛知、千葉、大阪であり、都市部に多い傾向が見て取れます。

長野県を棲家と決めた代表は、都市の贅沢な生活を放棄したことは、英断だと思っています。
もし、次に住む機会があるなら常夏の国インドネシアにしたいと思っています。
高齢者には1日が48時間もあるような流れの、温かい気候での生活環境が長寿を約束してくれるでしょう。

本年100歳を迎える方は、1919年生まれとなります。
大正9年ごろの生まれでしょうか。
第一次世界大戦が終わり、日本の全権大使西園寺公望氏がバリ条約に調印した年です。
第二次世界大戦時には、青年であり4年間の精神的緊張の戦争体験と敗戦後の苦しい生活と高度成長時代の先頭役の重要な役割を果たされた年代です。

戦後生まれの団塊の世代が100歳を迎えるのは、30年後になります。
恐らく、長寿者人口は100万人を超えているのではないでしょうか。

思うに長寿の秘訣は、成長期の食糧不足の経験、その後の豊富な食料、青壮年時のがむしゃらに働いた実績、生活衛生環境の著しい改善による感染症の減少、医療技術の改善が主要因ではないかと推測します。

更に、恐らく30年後をピークとして長寿者数は減少していくのではないでしょうか?
というのも、私たち子供や孫の世代では食糧不足はなく、衛生環境もよく、激しい労働も経験しなくて済み、当に天国のような生活を享受しています。
加えて、化学合成物質の環境の中で、当に無意識的な毒性試験の参加者として生きているように見えるのです。

日本の有機農業率は僅か0.4%、無農薬・無化学肥料栽培の食品は皆無、これに添加物たっぷりの工業食品を食べさせられているのです。
長期毒性試験の副作用が様々な他の要因に加わって、30年後には寿命の短縮、短命化が起きているのではないかと思っています。

孫の明るい顔を見る度に申し訳ないと思う。
本当の農作物の味を知らない世代を作ってしまった、現代に生きる我々の責任は重いものがあります。

敬老の日を迎え、憂う今日です。


西垣敏明
昭和23年兵庫県生まれ。県立八鹿高校、長崎大学薬学部卒業。薬剤師、医学博士(信州大学)。
製薬会社にて新薬の安全性研究に従事し、(財)食品薬品研究センター、国際協力事業団(JICA)派遣の専門家としてフィリピン保健省で国際協力に従事。フィリピンに霊長類を用いた医薬品研究所設立に関与し、ODAの無償協力案件調査に従事。インドネシアでノニに出会い、以後ノニおよびその他インドネシア産熱帯薬用植物の研究開発をインドネシア政府と共同で行っている。東京ノニ研究所代表、信州大学医学部特別研究員。著書:ノニ科学読本1~4、漫画みなみのノニ子ドタバタ奮闘記、博士の愛したブアメラなど

 

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